■松原惣兵衛■

 

旧姓を水野吉平といい

文化二年(1805)十一月十三日春日井群志段味村で出生

天保初年、犬山焼丸山窯の窯主となった加藤清蔵から

成瀬正壽に願でて、招かれて犬山にきて、清蔵の窯に協力した。

吉平は丸山新田に住み、後 松原仙助の娘の婿養子となり

名も惣兵衛と改めた。

惣兵衛の生い立ちは詳らかではないが、京焼の磁祖であり

赤絵の名工といわれる奥田頴川の弟子で

木米・道八等と同門の、瀬戸の頴渓に師事

磁器焼成や赤絵の技術を習得したのではないか。

惣兵衛が使用した赤絵の具は

独特の色合いと、重厚な味わいがあり

今も「惣兵衛赤」として、その調合が伝えられている。

また道平を犬山に将来したのも惣兵衛であって

彼が犬山焼に寄与した功績は偉大であった。

当時犬山あたりでは呉州赤絵の名品に接する機会はおそらくなかったとおもわれる。

正壽・正住等は犬山焼にとくに熱意を持ち

広く呉州赤絵の品々を求め、また、正住は三光寺御殿の庭に

上絵窯を築かせて、僧兵衛等の職人を召しいて

意匠等にいろいろ工夫を凝らせた。

これが赤絵や雲錦の優れた作品を生み出す基となしていると思われる。

惣兵衛は神社・仏閣に多くの作品を寄進しており

中でも継鹿尾山寂光院旧蔵の仁王像香炉

万蔵院の狛犬及び赤絵瓶子各一対、針綱神社赤絵瓶子

東之宮杜狛犬一対、滿寺赤絵花器一対等が知られている。

これ等の作品にはそれぞれ惣兵衛・清蔵・所助・道平等の

寄進者名と作者銘が記されている。

一般に市販された当時の作品に

作者の款・銘が全くない時代の製品であるだけに

これ等の奉納品は作者の作風を知る唯一の手がかりとなろう。

 

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