■近藤清九朗■

 

天保元年(1830)十月誕生

名を清右衛門、その後太米治、廃藩後は秀胤といった

成瀬家良愛知郡沓掛村居の父が

城下犬山にきたのは天保十四年(1843)で

村内に二村山あったので、号を二村と称した。

嘉永四年(1851)5月十一日、犬山城内東谷に住んだ。

画を寺島華渓に学び、狩野派をよくした。

規式以下の同心には、勤務の余暇に内職が許されていたので

加藤清蔵の職場に赴き、天性の画才を生かして

陶画を試みるようになった。

廃藩後は尾関窯にあって、陶画の研究に没頭し

赤絵染付の他交趾も写した。

明治十一年(1878)、京都・大阪両府県勧業博覧会に

県より視察を命じられた二代作十郎は

秀胤を伴って同地に滞在つぶさに見学した。

秀胤が先行地の陶器出品物を克明に模写して

これに彩色を施した肉筆図と

これ等の資料を参考にして作られた作品も残されている。

画風は道平の豪快さに比べ優雅緻密であり

とくに赤絵の線描きの美しさは、他の追随を許さない。

 

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