■今井窯■
信長・秀吉の安土桃山時代に
可児市久々利の大萱・太平で栄えた美濃焼きの分派として
今井の奥村傳三郎が、今井宮ヶ洞で開窯したのが今井窯の始まりである。
今井窯の経営は
初代傳三郎のあとその子傳三郎(通称源助)が引き継ぎ
21年後の寛延4年(1751)8月に源助が歿すると
その子六右衛門が三代目窯元になり
安永10年正月に亡くなったとされている。
これら三代百年に亘る窯業について
紀年銘のある作品を見てみると、次のようなものが遺存している。
最も古い作品とされているものは、今井石作神社の狛犬である。
その背面に『奉寄進、尾州丹羽群今井村
林 長兵衛 元禄十弐年卯月吉禅日 吉次代』とのヘラ書きがある。
つぎに、今井光陽寺墓地に、立てられt利他陶製仏像を挙げることができる。
台座に鉄釉で書かれ、背面に『幽屋清関庵主
享保七寅年十二月、忠右衛門父』とあり
奥村忠右衛門という人が父の菩提を弔うために
元文四年(1739)に注文作成したこたがわかる。
今井窯では、こうした特殊用途の作品に専念したのではなくて
一般庶民が日常生活で使用する「お勝手物」と呼ばれる生活雑器を主に生産していた。
従ってこれら作品に絵付けをしたものは極めて少ないが
それでも、火鉢に松と鶴の絵を鉄釉であっさり描いたものや
皿に中国の風景が北画風に描かれたものがあり
また鉄釉でかくかわりにヘラで絵や模様を削ったものも残っている。