犬山焼とは何か?





今日一般に「犬山焼」と呼ぶのは、秋の「紅葉」と春の「桜」を

基本とする「雲錦手」の陶器を連想する場合が多い。

江戸時代、自給自足が基本となっていた諸藩の殖産興業策によって、

各地に国焼といわれるような焼物が数多誕生した。

犬山焼もまたこのような「国焼」の一つと考えられる。

このような出自からして、国焼は、おおむね、民需要用の

雑器をその中心産物としているようであり、それらが流通販売された

範囲も当該藩および近隣諸藩領内程度といったところが

一般的のようである。それゆえ、大消費地がその後背地に

あるようなところをのぞき、経済的基盤は弱く、

藩による有形無形の援助と消長をともにし、

維新の廃藩置県とともに消滅していった事例もすくなくない。

そのような国焼のなかでは、犬山焼は、技術、

品質のたかさ(赤絵磁器焼成に成功)や美しさ、また、販路のひろがり、

等においてかなり有力な窯であった。

「成瀬公のお庭焼」との伝承が通説化しているほど、領主成瀬家の

篤い庇護があったのだろう。

しかし、その庇護も廃藩置県とともに失われ、犬山焼は非常な経済的

危機に見舞われる。 このころ犬山焼丸山窯の経営に参加しその伝統を

守ったのが初代作十郎 尾関 信業であり、以後約130年間、尾関窯は、

犬山焼の本窯元として今日に至る。






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